2011年07月07日

サザンカイツと高校野球

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いつも茅ヶ崎サザンカイツ公式サイト並びに公式ブログをご覧頂き誠にありがとうございます。

茅ヶ崎サザンカイツの代表の神山です。

さて、本ブログについて最初にお詫び申し上げなければなりません。本来であれば、選手が交代に書いてくれ、選手から見たサザンカイツの生の姿を、このサイトを普段からご覧になって下さっている方々にお届けすることが趣旨で始めましたが、ここ最近は、以前に比べ中々選手がブログを書いてくれず、少々寂しい状態が続いております。

一方、マネージャー日記はといいますと、これまた休眠状態が続いており、この2つのコンテンツに関しては、全くと言っていいほど機能しておらず、各方面からの地味な突っ込みをちくちくと受ける毎日を過ごしております。
ただ、新しい部員が増え、私からも現部員も含めて、ブログ投稿を喚起しておきましたので、近々、部員から次々と記事が投稿されてくるはずです。部員達からの生の声は、もうしばしお待ち下さい。


さて、そういった中、ちょうど夏の高校野球開幕の時期にさしかかっており、新聞やテレビなどでも関係したニュースで次々と取り上げられております。もちろん社会人野球チームのサザンカイツのメンバーも、そのほとんどが過去にこの大会に出場し、甲子園を目指していました。


神奈川県外にお住まいの方はご存じでないかもしれませんが、神奈川の高校野球人気はおそらく全国有数なのではないかと思います。横浜高校や東海大相模高校など、全国に名の知れた高校が出る試合は観客1万人以上、メイン球場の1つで、社会人野球でも使用されている、保土ヶ谷球場は平日でも外野まで埋まることもざら、準々決勝以降の試合が行われる横浜スタジアムに至っては、こういった有力校同士の対決になると、3万人を超える観客を動員することもあり、神奈川においては、甲子園での本大会よりも、県大会のほうが盛り上がっているといっても過言ではない状態です。


ちなみにこのような人気を誇る、神奈川県の高校野球ですが、神奈川県の高校野球関係者とファンでは必ず購入している、神奈川新聞社発行の「神奈川グラフ」という雑誌があります。この雑誌のすごいところは、神奈川県大会全試合を完全網羅しており、後ろには神奈川県の高校球児全員が出身中学とともに掲載され、集合写真や試合の写真、はたまた応援風景まで掲載されている、すさまじくマニアックな雑誌で、しかもこれが各書店で普通に売れていく様を目にしており、静岡出身の私としましては、驚くことばかりです。
ちなみに、そのマニアックな雑誌を、私神山はサザンカイツを結成する前から、なぜか毎年購入しており、今年で8冊目に突入となります。

そんな中、パラパラとこの雑誌をめくっていると、過去に読んだ時には全く気付かなかったサザンカイツの現部員の姿を次々と発見することに成功致しました。

そこで今回は、高校野球とカイツのメンバーとのかかわりを、神奈川グラフ掲載写真とともに、時系列順に追ってみたいと思います。


まず昨年度にあたる、2010年から話を始めていきたいと思います。

この年は神奈川では東海大相模高が、現読売ジャイアンツ監督である原辰徳監督の一級下であり、現在相模原クラブの監督を務められる岩永監督が、高3の時に出場して以来の夏の甲子園に出場、現阪神タイガースの一二三投手を中心に、甲子園でもみごと準優勝した年で、みなさんの記憶にも新しいかと思います。

そんな東海大相模高を、実は秋の大会で延長戦まで追い込み、大いに苦しめたのが、現在サザンカイツの期待の若手、石井大輝選手が3番センターとして率いた厚木西高校です。
夏は現千葉ロッテマリーンズの山口祥吾投手率いる立花学園高に敗れましたが、強豪公立校のメンバーとして活躍しました。

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なお、新入部員で石井選手と同世代の櫻井健人選手と蓑浦哲也選手は、東海大望洋高のメンバーとして春の甲子園に出場し、ベンチ入りをしたサザンカイツ史上初の甲子園経験者となります。他にも茅ヶ崎北陵高でショート1番として活躍した大串章人選手もおりましたが、神奈川グラフ掲載写真は石井選手をかろうじて発見した形になりました。


次に2009年ですが、横浜隼人高校が念願の初出場を果たし、阪神タイガースのユニフォームのデザインを同校がモチーフにしていたことから、浜トラ旋風と呼ばれ、甲子園大会でも地元ファンに注目されました。

サザンカイツのこの世代は、現メンバーの大坪千紘選手は夏を経験しておらず、また若命遵起選手は軟式野球部に所属していたため、この大会には参加しておりませんでした。唯一現メンバーで参加していたのが、新人の臼井祐子マネージャーでしたが、神奈川グラフ掲載写真はなく、この年はサザンカイツ的には現段階では、まだ写真収穫なし、といった感じです。今後大学を経て入部してくるメンバーに期待です。


2008年は記念大会にあたり、神奈川を南と北に分けて、実施された年になりました。そんな南神奈川大会で優勝した横浜高校と対戦したのが、秋山賢太郎選手と橋本慶太郎選手が所属した藤嶺藤沢高校です。

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実はその前の年には、今荘一選手・櫻井朋哉選手が3年生として、秋山・橋本の1級先輩として、やはり横浜高校と対戦し、延長戦で敗れ去る、という悔しい経験をしていただけに、気合いが入っていたようですが、結局現日本ハムファイターズの土屋健二投手に完封負けを屈した形になり、涙を呑みました。
この年は南神奈川大会では、主将としてチームを4回戦まで導いた、横浜桜陽高出身の内田弦汰選手、北神奈川大会では同じくエースとして4回戦まで勝ち抜いた、上鶴間高出身の小柳博輝選手がいた一方、1回戦で涙を呑んだ、横浜学園高の主将だった白石宗之助選手、磯子高の四番だった尾崎亮介選手も出場していました。いずれの選手も現在21歳になり、サザンカイツで活躍をしてくれております。

またOBでは逗葉高出身の光冨泰平OBが本塁でアウトになった写真が掲載されておりました。

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ちなみに蜂谷智美マネージャーは希望ヶ丘高でマネージャーをしており、偶然にも中学の同級生であった、小柳選手と2年次に対戦しており、その試合の写真が2007年の神奈川グラフに掲載されております。

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この2007年の大会では上記の小柳選手が出場した試合で、県内の大会記録になる53−0というすさまじい点差のゲームがありました。写真にもある通り、小柳選手は最終回に1イニング登板しておりますが、神奈川県大会では、熱戦がある一方、大きな実力差がでるゲームがあるのも事実です。果たして小柳選手がこの試合を通して何を感じ取ったのかは、機会があれば聞いてみたいと思います。

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またこの年は、サザンカイツのメンバーも多く出場しております。上記に上げた今荘一選手と櫻井朋哉選手が所属した藤嶺藤沢高は、横浜高と延長10回の死闘を演じたのを始め、村田知隆選手は、光明相模原高でベスト8を経験、秋の大会ではありますが、公立校ながら同じく県大会ベスト8まで進出しており、注目を集めていた茅ヶ崎北陵高では、3番サードで臼井大輔選手が出場、同じ茅ヶ崎市の鶴嶺高では早田洸佑選手がエースとして活躍、茅ヶ崎西浜高では宮本公平OBがライト9番で出場していました。茅ヶ崎市外でも下山淳平選手と楜澤龍平選手が所属していた湘南工科大付属高は4回戦まで勝ち上がり、小原悠太選手は横須賀高のエースとして出場、小嶋泰我選手はファースト兼投手で逗葉高のメンバーとして1級下の光冨泰平OBとともに出場、前川隆太OBは津久井浜高主将として、延長再試合を戦い抜き惜しくも敗れるなど、非常に人数はおりますが、神奈川グラフ的には、小柳と宮本の写真のみになるという、やや寂しい状況です。

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しかし、2006年は現段階でサザンカイツ的にはベストショットと言える写真が掲載されておりました。

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この年は茅ヶ崎北陵高が第3シードを得ており、前述の臼井大輔選手が2年生ながら、ショートで出場、菊地亮輔選手がサードで5番を任されていました。そんな茅ヶ崎北陵高とライバル関係にあったといってよいのが鎌倉学園高で、写真は夏に鎌倉学園高と茅ヶ崎北陵高が対戦し、クロスプレーでこの2人が同時にフレームに入ったシーンです。ちなみにこの写真でタッチをされているランナーは、現マルユウベースボールクラブ湘南の柏木佑典選手であり、社会人野球というカテゴリーでも再び対戦するなど、彼らの因縁はまだまだ続きそうです。

また、この年は飯塚拓也選手、泉拓馬選手、小島優和OBが大和西高で活躍していました。そして先ほどあげた湘南工科大付属高には、下山、楜澤の一級上に蓑輪智史選手がエースとして出場しておりました。丹野俊選手は藤沢翔陵高で夏のベンチ入りは逃しましたが、その悔しさをバネに大学ではベストナイン2回、首位打者1回を受賞するなど活躍し、そして大学卒業後、再びサザンカイツで硬式野球を始めました。

上記の菊地、臼井以外で、この年は意外な形で写真が掲載されていました。それは2年次の早田洸祐選手が控え投手でベンチ入りしていた鶴嶺高vs神田高(現平塚湘風高)の試合です。

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このカードを見ただけでピンと来た人は、相当の高校野球フリークです。実はこの試合、その後神田高校野球部に1年間密着取材したフジテレビがザ・ノンフィクションという番組の中で、9回ツーアウトランナーなしからの大逆転劇を、1年間の取材と重ねながら1時間にわたって全国放映した試合でした。この番組は「負けんじゃねえ!〜神田高校に起こった奇跡〜」と副題がつけられ、全国に甲子園とはまた違う感動を与えてくれた試合です。あの阪神タイガースの藤川球児投手も自身のブログで、この番組を大絶賛しておりましたが、早田選手はベンチとブルペンからその一部始終を見ていた訳です。


2005年はサザンカイツ創設時の中心となった世代で、人数も多く、神奈川グラフへの登場回数も多い年になっております。石川麦穂選手が主将として率いた茅ヶ崎高は、ベスト16まで進出、中林投手(現JFE東日本)率いるセンバツでベスト8まで勝ち上がった慶應高校に大接戦を演じたのは、大きなニュースになりました。その茅ヶ崎高校には他に、下の写真の打者になる黒崎裕也OB、そして安武忍OBがおり、石川選手とともに、サザンカイツの創設時を支えてくれた原動力になりました。

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茅ヶ崎北陵高は小澤直人選手をはじめ、たくさんの創設メンバーが名前を連ねております。また、何もなかったところから、いっしょに茅ヶ崎サザンカイツを作ってくれた、私にとっても思い出深いメンバーが数多くいました。

また、そのメンバーの一員であった、中田真弥選手の藤沢西高時代の写真と、小棚木裕紀OBの大和西高時代の写真が何と同じページに掲載されておりました。

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まさかこの写真を編集した方もこの2人が3年後に二遊間コンビを組んでいるとは、夢にも思わなかったでしょう。ちなみに小棚木の後ろにはベンチの中に泉(当時の姓名は大川)もこっそりいたのを最近発見しました。

そしてそんな泉とともに、新入部員の金丸裕則選手の相模原高時代の勇姿が2試合にわたって掲載されていたのを最近発見しました!!

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上の写真は捕手、下の写真はランナーが金丸選手の勇姿


相模原高は2回戦で姿を消しておりますので、その2試合ともに写真掲載を勝ち取った(ベスト32までは1試合につき1枚の掲載が神奈川グラフのルールらしい)こちらも非常にまれなケースでした。
他にも現東芝の上野悠史投手率いる平塚学園高相手にHR1本のみの失点に抑えた安藤弘選手も、この世代になります。



2004年では、現ボストンレッドソックスの田澤純一投手が注目されていましたが、そんな田澤投手率いる横浜商大高と互角の勝負をしたのが、東遼太郎選手がエースで4番だった茅ヶ崎北陵高でした。

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ランナーが東選手

ちなみに前述の小澤選手も2番センターで出場しておりました。
結果は田澤投手に対し、茅ヶ崎北陵高が相手を上回る安打数を放ちましたが、結局3−5で敗退しましたが、強く印象に残るチームでした。なお、この試合の様子は部活ネット様にも大々的に取り上げられておりますので、是非ご参照ください。

大松一貴選手は立花学園高主将でしたが、ケガのため控えに回り、不完全燃焼のまま、高校野球を終えてしまったようですが、その悔しさをバネに大学では杏林大のクリーンアップとして、強豪が揃う一部リーグでベストナインを受賞しました。また、新人の竹松裕樹選手もこの世代にあたり、3番捕手として逗子開成高で快打を連発しています。

ちなみに茅ヶ崎高で2年ながら、捕手としてスタメン出場していたのが、この写真の石川麦穂選手です。

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まだ得意の肉離れとは無縁の時代で、とにかく細い!!



なお、この年の神奈川グラフには、サザンカイツ関係者の中、唯一カラーで写真を掲載された部員がいました。


それがこちら…!

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右に高1時の鮫島千明副部長、左に高2時の上久保あゆみOGの応援シーンです。

あまり今と変わっていないというのは、褒め言葉なのか、悪口なのかは、ご本人の判断に委ねます。


それ以前の神奈川グラフが手元にないので、佐藤コーチや埜村コーチの勇姿はとりあえずおあずけとなりましたが、たった7年でもこれだけのものが出てきたことに、改めて神奈川グラフのマニアックさと、サザンカイツを支えてくれた選手がこれだけいたんだな、と感じさせてくれました。


さて、気になる私、神山の高校時代ですが、写真が手元になく、お見せすることが出来ず残念ではありますが、上記の名前が出てきた選手とはずいぶん違う、正直つらい経験をした夏でした。

私は高校時代、たいした選手ではなかったのですが、それでも最上級生になった時には、毎試合ベンチに入れてもらえるくらいの位置にはいました。しかし、最後の夏は、それまで新聞発表や大会誌などにもずっとベンチ入りとして掲載されていたのにもかかわらず、開会式前日に監督の方針が急きょ変わり、外野手だった私に代わって2年生の投手に登録変更され、晴れの舞台をギリギリで奪われてしまった生涯でもワースト1の悔しい経験をしています。

その悔しさから立ち直るのに、結局、10年以上の歳月が必要でした。私の高校野球は、サザンカイツに出会うまでは、正直触れたくなかった黒歴史とずっと思っていましたが、今こうしてサザンカイツに出会い、監督という立場に立たせてもらってみて、この悔しい経験は間違いなく生きているように思います。

高校野球は人生のうちでも2年と4カ月程度しか経験できない、貴重な時です。
蓑浦や桜井のように甲子園という晴れ舞台に立てる選手もいれば、私のように県予選の舞台にすら、立てない選手もいると思います。でも、どんな経験も必ずその後に生きてきますし、生かさなければいけないと思います。

3年間一度も公式戦に出られなかった選手が全国にたくさんいて、彼らは、まさに今、グラウンドで大声援を受ける同級生をスタンドからみていて、悶々としているかもしれません。
でも、それは色々なことが重なった結果、グラウンドに立てなかっただけで、決して自分の3年間が無駄だったわけではありません。それは最後の夏、スタンドにいた私が今一番理解していますし、監督という立場からそれを証明したいとずっと思っています。


…ちょっとのつもりが、ついつい熱くなり、だらだらと長くなりました。

今年も熱い、熱いドラマを期待しています。

最後に、早田選手も少しだけ出演していたかもしれなかった、「負けんじゃねえ!〜神田高校に起こった奇跡〜」のエンディングに流れた文章を皆様に紹介して、今回のブログを終えたいと思います。



神田高校の10年ぶりの1勝。

それは、偶然舞い込んだものではない。

勝利の女神は、

最後まで諦めなかった者だけに、

時々、奇跡のようなご褒美をくれる。
posted by 茅ヶ崎サザンカイツ at 02:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 神山 太
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