2014年08月27日

ブログ再開!

ご無沙汰しております。
茅ヶ崎サザンカイツ、監督の東です。

丸2年以上、お休みしていた当ブログですが、本日をもって再開致します。

来年で創設10年目を迎えるカイツの活動を、定期的に報告できればと思います。
またこの2年で新しく入ったメンバーも、以前からチームを支えてくれているメンバーの生の声も、お届けできればと思います。

取り急ぎ、今回は、再開のご報告のみで、失礼いたします。

乞う、ご期待!

♯18

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posted by 茅ヶ崎サザンカイツ at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 東 遼太郎

2012年05月03日

歴史

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お久しぶりです。東#18です。

3年ぶりの更新になります。「3年ぶり」という言葉が使えるくらい
サザンカイツも時を重ねたんですね。
今年でチームを立ち上げて7年目、JABA加盟5年目です。


ちなみに私の下の名前は、「遼太郎」といいます。

「アズマ」というキャッチーで呼びやすい姓の為、名に注目してもらう機会が少ないのです。それゆえ、「『遼太郎』って名前、芸能人みたい。気付かなかった」と言われることも。
※ちなみに東家は一家5人、それぞれの友人に「アズマックス」と呼ばれてます


名の由来は、父が「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などで知られる、歴史小説家の故・司馬遼太郎先生の大ファンだからだそうです。

司馬先生は新聞記者時代に、日本を憂い、過去の偉人の志を世に伝えようと、作家に転身されたそうです。

その志に感銘を受けた父が、長男の名前にもらおうと。父も思い切ったことをします。


そんな私は、司馬先生の著書を(親不孝なことに)命名から四半世紀経って初めて読んでおります。

学生時代、社会科学を避け、文系であるにもかかわらず数学受験で大学に入った私は、「歴史を知る」ということは過去を顧ることで、未来を切り拓くことだ、ということに、
この年でやっと気付かされました。

リーマンショックの際も、引用されたのは1929年の世界恐慌。
東日本大震災のときも、阪神大震災の教訓が活かされました。

「歴史は繰り返す」という言葉に象徴されるよう、過去を知らなければ何も語れないのです。



冒頭にも書きましたが、サザンカイツも今年で7年目です。
創設当時19歳だった私も、今年で26歳になります。
「光陰矢のごとし」。あっと言う間の6年間でした。

本当に最初のメンバーは私の母校、茅ヶ崎北陵高校出身者が9割を占めていましたが、今では少数派。

現在は、茅ヶ崎市内、市外、神奈川県内、県外、甲子園出場者、大学野球経験者、
嬉しいことにさまざまなバックグラウンドを持った選手たちが、カイツでプレーをしております。独立リーグへ行ったOBもいます。

選手の技術レベルも上がり、県内の強豪クラブと対等に試合ができるようにもなりました。
本当に創始者冥利に尽きます。

このクラブ選手権予選では神奈川の雄、金港クラブに非常に悔しい負け方をしました。
チーム全員でこの雪辱を果たさんと、どうやったら勝てるかを考えています。


でも、そんな折、一抹の不安を覚えるのはなぜでしょうか?

私はチームを作ったとき、「長く続くチーム」にこだわりました。
勢いだけで、熱が醒めたら空中分解していまうチームにだけは絶対にしたくなかった。

そのためには「上を目指し続けること」「地域に愛されること」が必要だと考えました。


でも今30年後、50年後続くイメージは湧きません。

それには、「クラブチームで野球をしている」ではなく、
チームを愛し「サザンカイツで野球をしている」という
アイデンティティを共有し、育てていかなければならないと思ってます。

私自身、それを全く体現できていませんでした。全く伝えられていませんでした。


チームを半永久的に続けていく、その為に、
あえてこの過渡期に、チームの歴史を知ってもらわなければならないと考えています。

最近入ったメンバーからすると、
「昔のことなんか知らない。今は今」と思われるかも知れません。

それもある意味正解です。
過去に縛られ、拘り、同じことだけをしていくのは愚の骨頂です。


でも、神山さんが仕事の合間を縫って調整してくれている、グランド確保がどれほど尊いことか。
1年目の時は、2時間の球場練習ができただけでも全員で大喜びでした。

鮫島が自分の自由に使える時間、エネルギーのほどんどを費やし、チームのマネジメント、協会への手伝いをしてくれています。
お陰でサザンカイツの対外的な信頼につながり、県内外のチームからオープン戦など誘っていただけるようになりました。

過去を知り、知った上で、その文化を残すのか、新しいものを取り入れるのか。
特に野球のプレー以外の部分では、時間を重ねて積み上げてきた信頼関係が、とてもとても大きいです。

その良い部分を残していくためには、創成期を知っているメンバーと、今までのチームにないものを持っているメンバーがうまく融合し、チームを愛し、ひとつになっていくことが必要だと思っています。

変に両者の対比構造を作るつもりはありません。
「チームを良くしていきたい」「勝ちたい」という思いは同じはずです。

練習場所が無かった頃
道具が無かった頃
オープン戦が無かった頃
大会が無かった頃
出欠をとる人がいなかった頃
大会の度に応援に来て下さる方がいなかった頃

それらを知った上で、残すべき文化、知るべき尊さ、変えるべき文化、取り入れるべき考え方、議論していかねばと思っています。

チームはまだまだこれからです。
全国にも行ってない、まだまだ地元の人に知ってもらっていない。
潰すべき課題は山積みです。

だからあえて、私は昔話をしていこうと思います。

近い将来、西武ドームで笑えるよう。


だってそれは

「未来を切り拓く」

ことだから。

posted by 茅ヶ崎サザンカイツ at 14:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 東 遼太郎

2009年05月18日

チーム創設記最終回 〜茅ヶ崎サザンカイツ〜

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下山様撮影


お久しぶりです。No.18助監督兼投手の東です。
先日の都市対抗1次予選兼クラブ選手権予選はとても悔しい結果となりました。
応援して下さった方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

私も含め野球への取り組みの甘さを実感し、既にチームは8月の日本選手権予選に向けてギアを何段階も上げて練習に励んでいます。
皆さんこれからも応援よろしくお願いいたします。


さて、各方面から高い評価を頂いている茅ヶ崎サザンカイツ公式ホームページですが、そのほとんどは神山隊長の弛まぬ努力とレイアウトのセンスで成り立っています(本当にかっこいいHPだと思います)。
私は当サイトにブログの管理人という立場で関わっていますが(といってもアップと簡単な添削をしているだけですが)、
これはチームの内側を知っていただく上で選手、スタッフの生の声を外部に発信できるコンテンツとして、自信を持ってお届しています。

しかし最近は更新頻度、内容、写真すべてにおいて高いクオリティを誇るマネージャー日記の後塵を拝する日々…。
ということで、就職活動も落ち着いた今、「打倒鮫島!!」ということで一念発起し筆を執った次第でございます。

就職活動といえば、先日ある企業から最後の最後で内々定をいただき、こんな私でも社会に出て働くことが許されました。
広告関係の仕事ということで、先輩からなかなか…いや、かなり忙しい仕事であると聞いております。

しかし、時間は自分で作るもの。

昨年まで勤務地新潟から金曜の夜に関越道をぶっとばし茅ヶ崎へ駆けつけ、練習・試合に参加、

仕事後、脇目も振らずジムへ向かいトレーニング、

そんなクラブチーム選手の鑑、昨年度ベストナイン特別賞の埜村投手を目標に
社会人になっても仕事に野球に、可能な限り頑張っていこうと思います。

それと共に今年度は、時間を自由に使える学生ラストイヤーということで、思い残すことの無いよう野球に打ち込もうと思います。


さてさて、余談もここまでにして本題のチーム創設記最終回の話に移ろうと思います。

「チーム創設記って何?」
という方は、右にある「カテゴリ」の「東遼太郎」をクリックしていただければ、バックナンバーがご覧いただけるかと。

最終回の今回はチーム外部の協力者の方々について書こうと思います。

前回のチーム創設記の時間軸は2006年の春頃で止まっていたかと思いますが、そこからJABA加盟までに丸々2年かかりました。

もちろん選手スタッフ一同、目標に向かって一心不乱に努力していた結果が加盟に結びついたのですが、そこには様々な方々のご支援ご協力あってのことでした。


2006年8月2日、この日は茅ヶ崎サザンカイツの初試合でした。
HPの「チーム紹介」の項で

「7月 対外試合へ向けて動いていた矢先に、日本ウェルネススポーツ専門学校さんのご厚意で、タイケン学園主催の硬式野球大会、第2回アカデミーリーグへの参加が承認される。」

とありますが、この日はそのアカデミーリーグの試合が執り行われた日でした。

当時はまともなグラウンド練習もままならないまま、初めての試合が公式戦ということでしどろもどろのてんやわんや。
加盟への道筋が見えなかった当時、このまま組織が空中分解する不安がありました。

しかし、この大会があったおかげでチームのモチベーションも維持でき、加盟に向けての推進力を得られたと思っています。
大会が決まった瞬間、全員で喜び、この試合に向けて胸ときめかせていたのを今でも思い出します。

ウェルネスさんや他関係者の方々、どこの馬の骨かもわからないチームであった当時のカイツを受け入れてくださり、本当にありがとうございました。


そのアカデミーリーグの試合後、名刺を下さりオープン戦に誘っていただいたのが、松戸TYRの小枝監督でした。

TYRさんとは以後、幾度となくオープン戦や合同練習を組んでいただき、クラブチームのあるべき姿を勉強させていただきました。

今でこそある程度カイツの存在を他クラブの方に知っていただき、比較的オープン戦が組みやすくなってきましたが、
発足当初は公式戦もなく、もちろん試合に誘ってくださるチームも限られていたのでTYRさんの存在はとてもありがたかったです。


私が大学の野球部を退部してから1年間所属させていただいたEMANONでは、
学生中心のチームづくりや、加盟に向けてのアドバイスなど、
当時代表をされていた鶴岡さんや小池さんらから、チームを一から立ち上げるイロハを学ばせていただきました。

サザンカイツを発足、継続させる上で貴重な体験をさせていただきました。


横浜球友クラブの部長代行の佐藤さんには、ひょんなとこから連絡があり、オープン戦の申し込みがありました。

球友さんには神奈川のクラブというものを身をもって体感させていただき、TYRさん同様、オープン戦に合同練習にと、貴重な機会をいただきました。

今でも球友さんには勉強させていただいております。


金港クラブの助監督兼内野手の露木さんは、私の高校の大先輩ということで、公私に渡ってお世話になっています。

神奈川の伝統チームで王者であるにも関わらず、加盟前からカイツのような若輩チームの相手をしていただき、感謝しております。

ちなみに、2007年度の県ベストナイン特別賞が露木さん、2008年度のがカイツの埜村ということで、2年連続で茅ヶ崎北陵高校のOBが受賞しています。

神奈川の普通公立校である母校野球部を考えると、これは快挙と言えるのではないでしょうか。
一OBとして私は非常に誇りに思います。

私も、これを刺激に頑張っていこうと思います。


と思いつくがままに書いていたら非常に長くなってしまいました。

これはお世話になった方のほんの一部です。
それほど多くの方がカイツにかかわってくださり、他に名前を挙げようとすると枚挙に暇がないです。

何のバックグラウンドも無かった私が始めたチームということを考えると、そういった内外の協力者の方が誰一人欠けても、チームが頓挫した可能性があったと思います。

この場を借りて、改めて感謝の意を表したいと思います。
少しでもカイツにかかわってくださった方々、本当にありがとうございました。


これでチーム創設記は終わりです。ただ書籍化の要望があった場合は別ですが(笑)

といっても私がこの場でブログを書くことに区切りをつけるだけで、これからもチームは夢に向かって邁進していきます。

もし「チーム創設記」をこれからも見たいと思われた方、グラウンドに足を運んでみてください。

なぜなら、「チーム創設記」は現在進行形だからです。


「本気で硬式野球をやる場の提供」
「地元を盛り上げたい」

この2点を為したくて発信したチーム。
後者はまだまだ努力が必要です。

選手、スタッフが泥臭く全員で作り上げたチームを、プレーを
是非、リアルタイムでご覧ください。

そして茅ヶ崎サザンカイツをこれからもよろしくお願いいたします。


2009年5月18日 茅ヶ崎サザンカイツ 助監督兼投手 東遼太郎
posted by 茅ヶ崎サザンカイツ at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 東 遼太郎

2008年09月12日

チーム創設記4 〜「人間」〜

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こんにちは。助監督兼投手の東です。
先日の日本選手権神奈川1次予選は優勝という最高の結果を収めることが出来ました。
この結果も、ひとえに皆様のご支援のお陰であります。
まだまだ未熟なチームですが、どうかこれからも応援よろしくお願いいたします。

さて、チーム創設記も1年弱ぶり、時間軸にして2006年4月から全く進んでいないという由々しき事態です。
そのような状況を打破しようと、こうして筆を取っているわけですが、私のような青二才の戯言に付き合っていただける希有な方がもしいらっしゃるのであれば、これから合間を見つけて少しずつ物語を進めていこうと思っていますので、よろしくお願いします。

前回は、今やチームへの貢献度はNo,1、この人なくしてサザンカイツはありえない神山監督との出会いを語らせていただきましたが、今回はそれ以降の出会いについてのお話です。

ちょうど2006年5月、たしかGWあたりだったと記憶しております。
ちょうどある高校のグラウンドが確保でき、当時にしては非常に貴重なグラウンド全面を使った長時間の練習が出来ることとなったのです。
当時は、確か8割以上が僕を含めた北陵高校OBで占められていたと思います。
しかしメンバーの欄をクリックしていただければわかりますが最大与党だった北陵出身者も過半数を割り、今では大和西や茅ヶ崎など様々な出身校の選手が在籍しています。

その5月の高校のグラウンド練習で、なんとか人と人とのつながり、各自のコネクションを最大限使った形で体験を含めて20人弱の人数が集まりました。
そこから、徐々に北陵高以外の選手が集まるようになりました。

一桁の人数しか集まらないのが当たり前、球場やグランド練習を組むこと事態が難しかった当時、一時的ではありますが野球チームらしい人数での練習が出来たことだけで私など運営側の人間は感動しきりでした。
日本選手権予選で大活躍の、黒崎や石川もその練習で初めてチームの活動に参加しました。
非常に充実感と希望を持って練習を終えたことを今でも覚えています。

日本選手権の大会を振り返ったときに私は感じました。
昨年、今年と神山監督や鮫島マネージャーを中心にチームの環境が整備されていくにつれて、選手が集まりやすくなった感があります。
しかし、やはり大会で中心選手として出て行ったのは、あの初年度の劣悪な環境、チーム状態の中、歯を食いしばって頑張ってくれた、小澤であり、黒崎であり、石川であり、小棚木であり、中田であり…。
絶対的な存在、埜村や決勝で先発・粘投した安藤、アップメニュー作成や選手の体のケア・代走の切り札として活躍してくれている山下も初期のメンバーです。

「このチームでやってて良かった」
「このチーム作って良かったですね」

創設者冥利に尽きる言葉も頂きました。

私を含めて彼らのほとんどは、決勝の優勝の瞬間ではなく、一回戦で公式戦初勝利を掴んだときに涙腺が崩壊しました。
皆、入部した当初から、加盟への紆余曲折、チーム内の様々な問題、2大会連続コールド負けという形で味わった社会人野球の壁、色んな情景が巡って感極まったことと思います。

よく、この2年半、我慢してチームに残ってくれたなぁ、と思います。
そして初期のメンバーに限らず、皆、この2年半で精神的にも技術的にもとてつもない成長曲線を示してくれました。

後輩の兄だった石川、石川の友人である小棚木、小棚木の後輩である泉、飯塚、小島…。
最近ではHPを見て問い合わせてくる選手も多いのですが、初年度から2年間は人と人とのつながりで来てくれた者がほとんどです。

こういった事実を目の前にすると本当に「人」と「人」の「間」にいてこその「人間」なんだなぁと。
人間は、本当に一人じゃ生きていけないと、改めてこのチームの活動を通じて学ばせていただきました。
誰一人欠けても、このチームは成立しません。

次回は、そんな自分ひとりでの無力さと協力してくださる方がいる心強さを同時に感じさせてくれる、チーム外部の協力者の方々のお話です。

ちょっと、今回は感情移入しすぎて外部の方まで話が及びませんでした(笑)

では、次回に乞うご期待!

これから、他の選手のブログもアップされると思うので、お楽しみに。コメント大歓迎です!
posted by 茅ヶ崎サザンカイツ at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 東 遼太郎

2008年06月26日

あなたは今、忙しいですか?

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お久しぶりです。No.18東遼太郎です。
自らのブログを「チーム創設記」などと銘打ってシリーズ化したあげく、8ヶ月も放置してしまい本当に情けない限りです。
申し訳ありませんでした。

その間に審査試合、神奈川野球協会へ加盟、春の初の公式戦、クラブ選手権予選兼都市対抗予選と、この一年間、チームにとって非常に重要で、それでいてとても濃密な時間が流れています。

今回は「チーム創設記」はお休みして(近いうちに書きます…)最近感じていることを徒然なるままに記していこうと思います。

私は現在大学3年生です。
最近インターンシップの説明会に行く学友をよく目にします。

そんな周囲の就職活動に対する意識の高まりに(サザンカイツも例外ではありません)、私自身も少なからず影響されております。
そんなこともあって、現在このブログを執筆している傍ら、就活サイトなどをちらちら見ていたりしています。

加えて春からゼミも始まり、相対的に野球だけに割ける時間の割合が減ってきたように感じます。
しかし、だからといって練習量が少なくなる、その結果パフォーマンスが落ちてしまった、となってしまったら何のためにクラブチームで本気で野球をしているのだ、ということになってしまいます。
この期に及んで忙しいなどとはいってられません。

私は「忙しい」という人の大半は本当に忙しい人ではないと思っています。
というのも本当に忙しい人に限って「時間を有効に使う」人のように感じるからです。

みなさんは一日の中で、「無駄にした」と思う時間がないと言い切れますか?

家に帰ってぼーっとする、見る予定もないテレビをダラダラと見る、わけもなくネットサーフィンに勤しむ…

私は「人生に無駄な時間などない」といった類の主張に抗う気は全くありませんが、これらのような時間を過ごしている人が「忙しいから〜が出来ない」「時間が足りない」と声を大にして論じられても何も説得力がありません。

例えば、帰宅してからアルバイトに行くまでに30分自由に使える時間があるとします。

そこで素振りをしたら何スイングできるでしょう?


朝、いつもより余裕がある曜日は15分ランニングをする。

1年間続ければどれほどの効果が得られるでしょうか?


とてもハードな仕事の社会人の方なら「本当に忙しい人」と言えるのでしょうが、こと学生においては、時間は無限にあると思います。

ましてやそんな仕事の傍らトレーニングを積んで、ガチンコの野球をしている社会人野球の諸先輩方に挑むには、学生中心のサザンカイツは相当な覚悟と意識を持って取り組まねば歯が立つわけがありません。

ただえさえ、ほとんど土日にしか全体練習ができない私たちは、平日の自主練習でそれを補っていくしかありません。
学生も学生なりに忙しい、でも仕事をしている方に比べたら時間的には恵まれている環境にあると思います。

だからこそ、目標を達成するためには「すべて自由に使える時間を使い切った」と言えるように、眠る前に充実感で満たされるように、日々計画的に意識を高くもって行動することが必要です。

私はまだ、恥ずかしながらその域に達しておらず、「やりきった感」が常に得られるとは言い難い日もあります。

そこで、これからストイックに自分を律していくことをこのブログで宣言します。

このような意識を持ち、日々それを戒めにし、夏の日本選手権予選は公式戦初勝利を目指し、私自身はもとより、チーム一同、精進していく次第であります。

みなさま、ぜひ応援よろしくお願いいたします。

P.S コメント大歓迎です!よろしくお願いします!
posted by 茅ヶ崎サザンカイツ at 00:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 東 遼太郎

2007年10月20日

チーム創設記3 〜神山部長登場〜

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こんにちは、お久しぶりです。No.18東遼太郎です。
前回のブログから約半年経ての更新です。更新が遅くなりましたことを深くお詫びいたします。私のブログに興味を持ってくれている方がどれほどいるかはわかりませんが(笑)


さて、『チーム創設記』も3回目となりました。私のブログを初めて見られる方は、以前の2回分を見てから今回のものを見ることをオススメします。「カテゴリ」の「東遼太郎」をクリックしていただければジャンプするはずです。
今回は今やサザンカイツに欠かせない人物となっております神山部長との出会い、さらには加入後のチームの体制作りについて書きたいと思います。

前回の更新で書いたチームのターニングポイントとなった試合が昨年の3月です。その翌月、つまり2006年4月に、私は高校時代お世話になった塾の先生に「塾講師をしないか?」というお誘いを受けました。結果的にその誘いを受け、働くことになるのですが、その方は非常に理解のある方で、さらに高校の野球部の大先輩でもあるため、サザンカイツの存在や近況は常日頃から話してました。
そしてある日、「お前に紹介したい人がいる」ということを言われ、食事に連れて行っていただいた際に、直属ではありませんが上司の先生である神山部長を紹介されました。

当時のカイツは学生だらけだったので、対外的な意味でもチームをまとめる意味でも、社会人の協力者が絶対に必要だと思っていました。ただ、チームの哲学や信条に合わない人、バランス感覚に優れていない人、独善的にチームの方向性を決める人など、チームにとってマイナスになるような人ならお断りだと思っていました。
しかし、信頼している方からの紹介だったので、いくらか不信感も薄らぎ、期待9割、不安1割でその席につきました。

第一印象は「非常に人当たりの良さそうな人」。実際に話を聞くと、非常に野球に情熱を持っており(というかもはや野球狂)、プレーをする環境が無い、劣悪な環境しかない、そんな選手の受け皿を作りたいという、非常に私と似通っている考えを持っておられました。私たちはその場で意気投合し(たと思っていいですよね?笑)、神山部長にはその日を境に徐々にチームの運営を手伝っていただくようになりました。

お互い硬式野球クラブチームなどゼロから立ち上げたことがないので、当初は四苦八苦しました。
まずは「茅ヶ崎ベースボールクラブ(仮)」から正式なチーム名を決めねばなりません。一生チームについて回るものなので一生懸命考えました。「茅ヶ崎サザンカイツ」という名前は、佐藤助監督と神山部長と私の3人で考えたのですが、決定したのは午前3時。由来はHPの「チーム紹介」のコンテンツで見ることが出来ます。
補足をしておくと、「サザン」は先に決まっていたので(実はサザンの事務所の許可も取ってあるんです)、あとはそれに続く言葉を考えるだけでした。しかしそれが中々決まらず日付を越えることとなってしまったのです。
とりあえず「茅ヶ崎っぽい動物で探していこう」という路線は決まっていました。そこで、私が茅ヶ崎の海を飛び回る鳥がふと頭をよぎり、「トンビだ!」とひらめきました。急いで電子辞書でトンビの英訳を調べると「kite」、複数形だと「kites(カイツ)」。「茅ヶ崎サザンカイツ」。語感もいいので即決定でした。

「草野球からの乖離」が一つのテーマでもあったので、ユニフォームも「クラブチームにふさわしいデザイン」を意識しました。最初に決まっていたデザインがあったのですが、某チームと被っていたので却下。基本的には「自称:ユニフォームで高校を選んだ男」の神山部長にお任せしました。他のチームの方に「カッコいい」と言っていただいたこともあり、私としては注文どおりのものだと思っています。完成品はHPで見ることが出来ます。

十分とはいえない資金の中でどの道具を優先的に購入するか、組織作り、選手の人数確保やモチベーショナイズなど、当時の課題を挙げればきりがありません。しかし、1個1個の問題に対して真摯に向き合い、足場を固めながら進んでいきました。

最初は手伝いという立場だったのが、今やチームの窓口となり入部希望者の対応からオープン戦の交渉、さらには部費の管理やグラウンドの確保、HPの更新など、事務方で先頭に立ってチーム運営を切り盛りするキーパーソンとなりました。チーム作りが加速度的にスピードアップしたのも神山部長加入後でした。

おそらく今年から加入した選手が当時のような体験したら愕然とすることでしょう。それほど去年の進歩は目覚しいものでした。

次回は、その後のチームの展開と、現在チームを語る上で欠かせない内部、外部の方々についての紹介です。
本当は3回目を最終回にしようと思ったのですが、中身が濃すぎて納まりません。あと何回分になるんでしょう。今までの更新の中でもかなりのエピソードを省いているので本一冊分は書けます。もし、本にして欲しい方がいましたら、チームのメールアドレスまでご連絡ください(笑)

あと、もしブログをご覧になりましたら、コメントを残していただけると幸いです。私どもも励みになります。埜村のブログにコメント下さったMANEさんありがとうございます。

これからもサザンカイツを応援よろしくお願いします。それでは、次回の更新を乞うご期待!
posted by 茅ヶ崎サザンカイツ at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 東 遼太郎

2007年04月13日

チーム創設記2 〜Can't stop my dream〜

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こんにちは。投手兼監督の東遼太郎です。
昨年度は中々勝ちに恵まれなかった我がチームですが、最近は少しずつですが地道な取り組みが結果に反映されてきて、先日の交流戦では何とか初戦を勝利で飾ることが出来ました。

まだまだ課題も山積みで、未熟な私どもですが、皆さんご声援の方どうぞよろしくお願いいたします。


さて、前回のブログで「チームの生い立ちについて数回に分けて書く」と高らかに宣言した私ですが、気がついたらこんなに更新が遅くなってしまいました。

前回、どのようにして私がクラブチーム創設を思い立った経緯を書きましたが、今回はそれをどのようにして行動に移していったかを書きたいと思います。


「クラブチームを作りたい症候群」とでもいいましょうか、一度火がつくと止まらない性格の私は、とにかくチーム創設を具体化させる情報を求めていました。

そこで、当時、私が暫定的に所属させていただいていたクラブチームが、学生を中心に近年、一から立ち上げたチームであったため、初期段階のサザンカイツのモデルケースにしようと考えさせていただきました。

そこのチームを立ち上げた代表の方に、クラブチームを発足するための様々な情報を聞かせていただきました。
さらには、私の周りにいたスポーツに造詣が深い有識者の方々に相談に乗ってもらいました。その中には、尾坂総監督も含まれております。
その方々には、険しい道のりではあるけれども面白い、リスクはあるがやってみる価値はあると叱咤激励の貴重なお言葉をいただきました。

高校の野球部の同期、先輩にも相談し、「もしやるのであれば出来る限り協力する」といった暖かい励ましを受け、私の決心は固まって行きました。

もうこれは作るしかないだろうと。もう私の夢は誰にも止められません。

チームのハンドブックの「チームのこれまでの道のり」には

「1月 東を中心に佐藤・田辺・中村の4人でチーム結成」

とあります。
この4人でファミレスでチームの将来に夢見ながらミーティングをしたことは忘れられません。
事実上、チームが発足したのはこの時点ということになります。

そして、いざ行動に出る、となってもどこから手をつければいいのか、と考えたときに、まず人がいなければどうしようも無い、ということでメンバー集めに奔走。

とりあえず高校の同期、先輩、後輩に手当たり次第声をかけました。
しかしさすがにそれでは限界があると感じ、携帯メール作戦を敢行しました。

携帯メール作戦とは、クラブチーム創設の意義、そしてメンバー募集の旨をメールに記載し、自分が知っている野球人に回してもらう、そしてさらにその野球人からも知り合いに回してもらうというものです。

結果的に大量のメンバー確保には繋がらなかったのですが、何人かに興味を持っていただいたり、事情があり入団することは出来ないが頑張ってくれと、励ましのメールをいだたいたりと、私としては多くの方に認知していただいたことで、この作戦は成功といえるのではないかと思っています。

そして、徐々にではありますが高校のOBを中心にメンバーは集まってきて、ついには正式入団でないものを含めるとギリギリ試合は出来る人数は揃うようになって来ました。
そこで、前出の私が暫定的に所属していたチームとミニゲームをすることになりました。

この時点でのチーム名は「茅ヶ崎ベースボールクラブ(仮)」で、もちろんユニフォームもバラバラ、正式所属ではない大量の助っ人を呼び、さらには大会前ということで私はサザンカイツに投げるという変則試合。

しかし、エラー絡みではありますが1点をとり、田代−佐藤のバッテリーを中心によく守った「茅ヶ崎ベースボールクラブ(仮)」が1−0で勝利を収めました。
この試合で多くのメンバーが再び硬式野球をやる喜びを感じ、それからの活動において大きな推進力を得ることが出来ました。

この日が第1回のWBCの決勝戦で日本がキューバに勝利し、正真正銘の初代世界王者になった日というのも何か因縁めいたものを感じてしまいます。

当時は、練習環境、メンバーの人数、道具、組織、どれをとっても一般的なクラブチームからは程遠い劣悪な環境、でも「やる気」だけはどこのチームにも負けない。

きっと自分たちならやれる、そう確信させられた2006年3月21日でした。


次回は今やチームに欠かせない人物となった神山部長登場です。お楽しみに!
posted by 茅ヶ崎サザンカイツ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東 遼太郎

2007年03月02日

チーム創設記 〜いいだしっぺ〜

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はじめまして。投手兼監督を務めさせていただく東遼太郎です。

『監督』と聞くと偉そうな響きがしますが、采配などは佐藤助監督に任せているため、私はチーム発起人という立場からこういう位置にいます。実質的には現場の代表という意味合いが強いです。


そんな前置きはさておき、『チーム発起人』と書きましたが、要するに私がこのチーム創設者であり言いだしっぺであります。
しかし、私が、ものすごいコネクションからこれだけの人間を集めたわけでもなく、人並み外れたカリスマ性やリーダーシップをもってしてこのチームを束ね上げたわけでもありません。

その陰には、枚挙に暇がないほど大勢の方々の協力がありました。

そんな茅ヶ崎サザンカイツの生い立ちについて数回に分けて書いてみようと思います。


2005年末、私は内部事情により大学の野球部を退部し、新たなるプレーの場を求めてクラブチーム探しを奔走していました。
元プロ野球選手の創設したチーム、地元の老舗強豪チーム、自分のプレーヤーとしての可能性を最大限引き伸ばせる環境を求めて様々なチームに足を運びました。

しかし、どのチームのトライアウトを受けても、練習に参加しても、どこか違和感を感じてしまう。

練習環境は?−整っている。申し分ない。

周りの選手のレベルは?−高い。申し分ない。

では、何が足りないんだろうか?


そういえば、私は自分の意思でプレーする場を選んだときから一貫して
「自分がプレーしがいのあるチーム」
を選んでいたことに気づきました。

では、何に「プレーするやりがい」を求めたらいいだろうか?

私はふと考え込みました。それと同時に、高校時代から抱いていたある思いが交錯しました。


私の出身高校は神奈川県にある普通公立校です。
スポーツ推薦があるわけでもなく、専用の野球場があるわけでもありません。
普通に勉強して入ってきた生徒が、それでも上を目指して練習に励む、そういう学校です。

それでも、公立校の中では上位に位置すると目される我が母校。
一学年に数人は光る物を持っている選手がいます。

早くから大学で野球をやることを夢見ていた私は、そんなチームメイトに問いました。

「上で野球を続けないのか?」

と。

返ってきた答えの多くは、とても歯がゆいものでした。
続けたいんだけど…
理系だから勉強が大変、公立校では通用しない、バイトをしなければ生計が立たない、就職してしまう、などなど。

総じて、

「続けたいが、自分が置かれている環境が許さない」

そんな構図が浮かび上がってきました。

続けたいけど続けられない状況。ただ、もしかすると、多くのものを犠牲にしてまで野球をすることに対する逃げがこの中に含まれているかもしれません。
ただ、この限りでない選手がいたとするならば、彼の可能性を「もったいない」と思うのは私だけでしょうか。

脂の乗り切った一流のプロ野球選手の年齢を考えてみてください。
イチロー、松井、松坂、井川、福留、城島…。
皆、20代後半から30歳前後じゃないですか?
ということは、ピークがその年齢であればそこまでは野球が上手くなり続ける、上向きの成長曲線が描ける、と考えることは出来ないでしょうか。
ましてや20歳前後の若者の技量があがらないはずがありません。
これから野球が上手くなるのに、楽しくなるのに、なんでやめてしまうんだろう。


そうか、できる環境が無いんだ!

なければ作ってしまえ!


と、浅はかな私は

「自分の可能性を引き伸ばす」
「本気で硬式野球を続けたい人のための環境を提供する」

この二つを同時に達成するには、自らクラブチームを作るしかないと思ったのです。

高校で、大学で、社会人で、野球を続けられなかった人たちが集まってこの茅ヶ崎という地を盛り上げていく。

私にはそれがこの上なく素敵なことに思えました。

そういったいきさつから、この茅ヶ崎サザンカイツの原形が生まれました。


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次回は、その私の破天荒な発想がどのようにして形になるか、選手集めや神山部長との運命的な出会いなど、チーム作りの第一段階について書いてみたいと思います。

それと、他の幹部、選手、スタッフもブログに登場していく予定なのでそちらもお楽しみに。


それでは、これからも茅ヶ崎サザンカイツをどうぞよろしくお願いいたします。



茅ヶ崎サザンカイツ 投手兼監督 東 遼太郎
posted by 茅ヶ崎サザンカイツ at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 東 遼太郎